【読書レビュー】自分の中に毒を持て【おすすめ本】

 あなたは芸術家 岡本太郎 をしっていますか?

 岡本太郎といえば、よく言われるのが大阪万博公園内に高くそびえ立つ太陽の塔ですよね。実際に見たことがある方はわかっていただけると思いますが、近くで見るとその大きさと、異様なデザイン性に建造から50年たっているにもかかわらず、見るものを圧倒させるパワーを秘めています。また「芸術は爆発だ」この一言も有名ですね。そんな岡本太郎が、1993年に出版した本が昨今話題となっています。それは本の内容が、現代を生きる私たちの心のまごついた部分に強く訴える内容となっているからです。現代人にむけた時空をこえたメッセージ。岡本太郎の「自分の中に毒を持て」紹介していきます。 

 さて、まず一番に目をひくのはこのタイトルですね。ずいぶんとものものしい、タイトルです。この本のメッセージをひとことで言うと、「じぶんの人生を後悔せずに生きろ」です。500円くらいの安くて薄い本なんですけど、こんなにお値段以上の価値を持つ本は中々ないんじゃあないでしょうか。目を引くタイトルと読むことに抵抗を感じさせない本の厚さ、そして私たちを射尽くすような岡本太郎の視線。ついつい手にとってしまう。この本にはそんな不思議な魅力があります。また、本をめくったその冒頭には真っ赤な背景にこんな一文があります。

いのちを賭けて運命と対決するのだ。そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の見方であり、また敵なのである。

自分の中に毒を持て

わたしは冒頭でこれを見たときに心がガツンと揺さぶられるのを感じ、即購入を決意しました。

 ではどう言ったかたにオススメなのかというと。右の8つの目次にあてはまった人です。これに一個でもあてはまった人はぜひみていただきたい一冊となっております。全部あてはまってしまった方はぜひ人生のバイブルとして手元に置いておくことを強くオススメします。人によっては、巷にあふれる自己啓発本に書かれているような内容なのでは、という方もいるでしょう。しかし、これは芸術家、岡本太郎の残した作品。この本が一つのアート作品なんです。難しいことは考えず、本にのめりこむように、そして、むさぼるように読み進めていくとおのずと下記のような人々に対する岡本太郎からのメッセージが滾々と浮き上がってくるのです。

自分という人間をついつい甘やかしてしまう人

生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命を開くのだ。今までの自分なんか蹴飛ばしてやる。ふつうに自分に忠実だなんていう人に限って、自分を大事にして、自分を破ろうとしない。社会的な状況や世間体を考えて自分を守ろうとする。それではダメだ。社会的状況や世間体とも戦う。アンチであると同時に自分に対しても闘わなければならない。これは難しい。きつい。社会では否定されるだろう。だが、そういう本当の生き方を生きることが人生の筋である。自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。そんな生き方は安易で甘えがある。ほんとうに生きていくためには自分自身と闘わなければだめだ。自分に忠実と称して狭い枠のなかに自分を守ってかっこよく生きようとするのは自分自身に甘えているに過ぎない。それは人生に甘えることである。もし、そんなふうにカッコウにとらわれそうになったら自分を叩き潰してやる。そうすれば逆に自分が猛烈にひらけ、モリモリ生きていける。たとえ、結果が思うようにいかなくたっていい、結果がわるくても、自分は筋を貫いたんだと思えば、これほどさわやかなことはない。人生というのはそういうきびしさをもって生きるからこそ面白いんだ。

 冒頭からだいぶ熱いです。自分を大事にしすぎる人、自分に優しい人、甘やかす人はまずここで全て否定されます。自分に厳しく生きた岡本太郎の強い意志が感じられます。どうしても人間って楽なほう、楽なほうに行きがちで、厳しい道というのは選びたくないというのが本音だとおもいます。

では自分は何が得意で、何を本気でやったらいいかわからない人はどうしたらいいのだと、思いますよね。次の章で見ていきます。

自分は何が得意で、何を本気でやったらいいかわからない人

そんな人に岡本太郎さんはこう言います。

まず、どんなことでもいいからちょっとでも情熱を感じること、惹かれそうなことを無条件にやってみるしかない。情熱から生きがいが沸き起こってくるんだ。情熱というものは、なにをなんて条件つきで出てくるもんじゃない。無条件なんだ。何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずにちっぽけなことでもいいから、心の動くまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。

情熱という言葉をチョイスして使うあたりがのが岡本太郎らしさを現していると思います。

失敗を恐れずに、お金や、名声のために何かをはじめるのではない。無条件にあなたが、あなた自身がすこしでも情熱を傾けられるものをとりあえずやってみる。

また、そこで何かが見つかってもいいし、見つからなくても別にいいとも言います。その時にきっと(この本では絶対という意味も含んで)目のまえになにかが浮き上がってくる。さらに岡本太郎さんがいうには、見つからないというのは自分がそう思っているだけなのだ、無条件に自由になれば、ほんとうはそこからなにかが見つかるんだと。

芸術というじぶんの人生をかけるものを見つけた、岡本太郎だから、こんなにも自信をもって断言できるんですね。

でも、その情熱を傾けるものがみつかったとして、それが継続してできなければ、意味がないですよね。次の章で見ていきます。

継続して何かをすることができない、優柔不断な人

何かをはじめても、つづかないんじゃないか、三日坊主に終わってしまうんじゃないか。なんて余計な心配はしなくてもいい。気まぐれでも、なんでもかまわない。ふと惹かれるものがあったら、計画性を考えないで、パッとなんでもいいから、自分のやりたいことにてを出してみると良い。それでもしダメなら、続かなかったでいいんだ。良いと思うべきだ。]三日坊主でかまわない。その瞬間にすべてを賭けろ。[/say]

わたしもそうですが、継続してできない人をこんどは全肯定してくれています。さらに。ここまで、三日坊主な人を肯定してくれるひとがいるんですね。昨今のメディアでは継続性のたいせつさが取り上げられ、結果を残しているひとは毎日の継続でここまでの選手になったんだとかいいますが、三日坊主おおいに結構というメディアは見たことありません。わたしも飽きっぽい性格でじぶんに自信を持てずにいたんですが、岡本太郎さんの言葉で勇気づけられました。ただ、三日坊主はいいが、次にいう人はだめだといいます。それは「いまはまだダメだけれど、いずれ」と絶対に言わないこと。です。

いずれなんて言うやつに限って、現在の自分に責任を持っていないからだ。生きるといいうことは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。

今を生きるというのはさまざま自己啓発本や哲学にもでてきます。やはり自己を高めるうえでは必要なことなんでしょう。岡本太郎さんはこの瞬間にすべてをかけて、今、初めて三日坊主になったらそれは素晴らしい。なぜならいま、げんざいを生きたから。それと対比して未来の自分にまかせて、げんざいの生き方をごまかすやり方こそ問題だと、して主張しているのが岡本太郎だなぁとかんじます。譲れるときは譲る。三日坊主は全く問題ない。譲れないところは絶対に譲らない。いまを生きていないやつはだめだ。今回のテーマとは違った哲学が見え隠れしているのも、今回の章のポイントだと思いました。

いつも誰かと自分を比べてしまう人

こういう人わたしもふくめて現代の日本には非常に多いと思います。SNSを見てて、じぶんよりキラキラした人生を送っている他人をみる。この人に比べて自分は、といって、自身をなくしてしまう。それがキラキラしている部分を切り取っているだけなんだと、わかっていても、うらやましく感じちゃいますよね。そういう人に岡本太郎さんはこう言います。

他人をみて自身をなくす?自身なんてどうでもいいじゃないか。そんなもので行動したらロクなことにならない。ただ、僕はありのままの自身を貫くしかないと覚悟を決めている。自分が頭が悪かろうが、面がまずかろうが、財産がなかろうが、それが自分なんだ。それは ‘‘絶対‘‘なんだ。わが人生、他と比較して自分をきめるなどという卑しいことはやらない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、わき目も降らず進むだけだ。

やはりここでも、The岡本太郎 確固たる自分というものを持っているからこそできる、発言ですね。自分をしっかり持っていれば、他人と比較するなんてことはやらない。ありのままの自身を受け入れつきすすむだけ。なかなか、熱いですが、実行が難しいことを言ってくれます。自分の道を突き進むというのは普通の人にとってはとっても辛いし、きついと思います。強い意志やエネルギーが必要です。でも、普通に働いているだけでも、意志は折れ、エネルギーももっていかれ、そんな気力でないよ。というかどうやってそんな強い意志を持てるんだってなりますよね。つぎはそんな人に贈る章です。

強い意志、エネルギーがわいてこない人

多くの人が勘違いしていることだが、有名な画家にしても才能があるから絵を描いているんだろうとか、情熱があるから行動できるんだとか人は言うが、逆だ!何かをやろうと決意するから意志もエネルギーも噴き出してくる。何も行動しないでいては意志なんてものはありゃしない。
自身はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けてひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。意志を強くするなんて方法なんてありはしない。そんな余計なことを考えるより、ほんとうにやりたいことに、全身全霊をぶつけて集中することだ。

ここの岡本太郎はめちゃくちゃ熱いです。自分がこれとおもったものをひたすらまずは、やってみろと。行動してみろと。意志やエネルギーがその時点でなくても、なにかをやっていたら、あとからあとから、強い意志やエネルギーがわいてくる。なんだかこっちの心まで熱くなってきますね。岡本太郎さんの言葉に、強い意志や、エネルギーが含まれているように思えてきます。もしかしたら、この言葉をきいて自分もなにかやってみようかなという気持ちになって、ブログをはじめてみたり、情報発信してみようとおもうひともでてくるかもしれません。わたしもその一人でした。ただ、まだ心のどこかに。いやいや自分にはそんな価値なんてないよと。やってみようといつも、おもうんだけれど、中途半端におわってしまう。自分は未熟で、そんな情報を発信できるような、価値のある情報をとどけられるような人間ではないんです。そんな人に贈るのが次の章。

自分は未熟で価値なんてないと自信を失っている人

人間なんてものはだれでも未熟なんだ。自分が未熟すぎて、心配だななんてものは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。ぼくに言わせれば、弱い人間とか未熟な人間のほうが、はるかにふくれあがる可能性を持っている。未熟というものは運命全体、世界全体を相手に、自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければいけないが、それだけに闘う力を持っている。人間はマイナスの面のほうも多く持っているマイナスの面があればあるほど逆にファイトを燃やして目のまえの壁と面とむかって対決するわけだ。自分が未熟だからと消極的になってしまっていたら、未熟である意味がなくなってしまう。未熟を決意することは素晴らしいことだ。

未熟な人こそ価値がある。自分に価値がないんじゃないかと、悩んでいた人の心の霧を晴らしてくれる発言ですね。なんだか自分は下手だから、もうちょっと練習してからやろう、歌も上手になってからやろう。そうなってしまいますよね。ちがうんです。今。未熟な状態であろうと今やることにあなたの未熟なことの価値と、今という価値が結びつく。

孤独感で押しつぶされそうな人

サービス精神が旺盛で、ついまわりの期待するようにふるまってしまったり、チャラチャラと軽口を連発し、そのくせ軽薄だと思われてやしないかと内心絶望している人がいる。それはサービス精神かもしれないが、つまりはみんなに悪く思われたくない、じぶんがかわいい一念なんだ。

わたしもこのタイプで、自分の本質は無口で物静かなタイプでしたが、就職したことを気に、周りに気に入られたい、面白い人だと思われたい、孤独になりたくないと思って、大学時代に人気者だった友人のマネをしてふるまって、1年をすごしました。最初はそれで良かったんですが、だんだんしんどくなってきて、さらに軽口を冗談としてとってもらえず、軽薄な人間だとまわりに思われて、さらにしんどくなるというループにおちいってました。なのでこれを見て自分のことを言われているとドキリとしました。

とかく、みんな自分を大事にしすぎる。自他に甘えているんだ。ほんとうの自分の在り方を外につきだしていない。だから、裏目がでてきてしまう。自分でもそれを感じるだろうし、相手も裏目を感じて、深くつきあおうという気にならない。なぜ、友達に愉快なヤツだと思われる必要があるんだろう。こういうタチの人は自動的にみんなに気をつかって、サービスしてしまうんだろうけど。それは他人のためというより、つまりは自分の立場をよくしたい、じぶんを楽なポジションに置いておきたいからだということをもっとつきつめて考えてみた方がいい。もっと厳しく自分をつきはなしてみたらどうだろう。友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分をつらいぬいていけば、ほんとうの意味でみんなによろこばれる人間になれる、つまり、自分を大事にしすぎているから、いろいろと思い悩む。そんなに大事にしないで、よしそれなら今度から、好かれなくてもいいと決心して、自分を投げ出してしまうのだ。駄目になって結構だと思ってやればいい。最悪の敵は自分自身なんだから。自分をぶっ壊してやるというつもりで。そのくらいの激しさで挑まなければ、今までの自分を破壊して、新しい自分になることはできない。

自分の幸せというものを見失ってしまった人

まわりからの評価を気にすること自体、それは自分を甘やかすことである。孤独感に押しつぶされそうな人も自分に甘えているだけだ。もっと自分をつきはなすんだと岡本太郎さんはいいます。自分をつきはなす。簡単なようで難しいですが、この三日間の岡本太郎さんの熱い言葉を聴いていると、じぶん自身をつきはなしてものごとを考える。できるような気がしてきませんか?では最後に自分の幸せというものを見失ってしまった人。なんだか深いテーマです。にんげんの幸せってなんでしょうね。

ほんとうに生きようとする人間によって、人生はまことに苦悩にみちている。矛盾に体当たりし、瞬間瞬間に傷つき、総身に血を噴き出しながら、雄々しく生きる。生命のチャンピオン、そしてイケニエ。
生きるーーそれは本来、無目的で、非合理だ。生命力というものは盲目的な爆発であり、人間存在のほとんどと言ってよい巨大な部分は非合理である。われわれはこの世になぜ生まれてきて、生きつづけるのか、それ自体を知らない。存在自体、肉体も精神も強烈な混沌である。そしてわれわれの世界、環境もまた無限の迷路だ。

なんだか、芸術家、岡本太郎の言い回しに、ちょっとついていけなくなりそうになりますが、ちょっとふんばって、ここはあたまで理解しようとせず、心で感じてください。

ぼくは幸福という言葉が大嫌いだ。たとえ、自分自身の家がうまくいって、家族全員が健康に恵まれて、とてもしあわせだと思っていても、一件置いた隣の家では血を流すような苦しみを味わっているかもしれない。そういうことにはいっさい目をつぶって問題にしないで、自分のところだけ波風が立たなければそれでいい、そんなエゴイストにならなければ、いわゆる‘‘しあわせ‘‘ではありえない。自分を幸福だとおもっている人でも、何か自身のなかに、心の底の方には、逆の面、つまり何かを求めている、ほんとうにしあわせじゃない部分がある。つまり、これでしあわせなんだと自分を納得させているが、一方にほんとうにしあわせなんだろうかというマイナスの面をあわせもっている。人間として当然だ。外に向かって発信するときはそれをごまかして、なにごともないようににこにこしているが、もっと正直になって、恐れずに自分の内側を直視していいじゃないか。

つまり、しあわせなんてものは見失って当然だと岡本太郎さんは言っているわけですね。そして、岡本太郎さんはしあわせとは別に、「歓喜」という言葉を追い求めるべきだといっています。危険なこと、辛いこと、つまり死と対面するとき、人間は燃え上がる。それは生きがいであり、そのときおこるのがしあわせでなくて、‘‘歓喜‘‘なんだと。歓喜を追い求めることで、しあわせとかそういったうわべだけの感情ではなく、心の奥底から湧き上がる感情とともに生きることができるといっています。ここまで聴いて、一般人には持てない思考がどんどん出てきて、頭が混乱してきますよね。ただ、こういった、尋常ではない精神をもつ人の考え方をしっていることで、自分のふつうの人生を俯瞰してみることができると思います。わたしが紹介したのは、ほんの一部です。そのほかにも、岡本太郎さんの少年時代や、パリですごした青年期、さまざまな情景が登場し、芸術家、岡本太郎さんはいかにしてつくられたのか、背景にはどういった思想があったのか、気になる方はぜひ読んでみてください。

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